ふー。

今日は朝から電話使えなくて大騒ぎ。昼を食べに行くタイミングも逸し弁当に。昨晩らんぷ亭に浮気したので今日は吉野家豚キムチ丼。やはり、吉野家では牛丼に勝る物は無いと思った。しかし11時過ぎの吉野家にいる人はなぜか皆マニアックに見える。
25時がなぜおもしろかったか考えている。というのも、職場の人に「よかったよ」と話を切り出したのだが、どこがよかったか説明しようとしてもうまくできない。そういえば昨日のここも悩んだ末ほとんど書いていない。で帰り道で考えて思ったのは、非常にシンプルなことで、要は非常にリアリティーが感じられたということではないかと。
確かに私は薬の売人でも、100億円を動かすディーラーでも先生でも移民でも無いけど、だからこそリアリティーを感じやすいのかも。これが外資系ITで働くエンジニアの物語だったりすると、「それは違うよ、解ってないな」ということに成りかねないし「江戸時代の浪人であれば「そうなんだ?ふーん」になってしまうように思うんだけどニューヨークに住む同世代の人というのは「あー、そうかもね」といった感じでちょうどいい距離感なのかもしれない。分かりにくいか。もちろん映画としてのできもよくなきゃいけないんだけども、それは原作が偉いのか、脚本か、監督か、キャスティングか、なんなのかはよく解らない。キャスティングはかなりいい線いってると思うけど。なんか実際いそうなきがする。ああいう人達。
あとニューヨークが好きだというのも大きいと思うけどね