いとい新聞の読者からのメールを見ても、掲示板を見ても見ていた人の入れ込みようはやはりすさまじかったようで。よくできていたよなぁ。でもよくできすぎていて美化されすぎているような気もする。何が事実かなんて誰にもわからないんだけどね。三谷脚本の「旧体制のスケープゴートとしての新選組」というのは非常に腑に落ちる解釈なんだけど実際当時の人はどう思っていたんだろう。「燃えよ剣」を読んだあと、何でこんなに敗者の物語がもてはやされるのかというのを考えたことがあった。坂本龍馬の評価が実は死後ずいぶんたってから(たぶんに高知地出身者による政治的ないとのもとに)改めてされた(それまではそれほど評価されていなかったとか何とか)という話を読んで、では新選組がこれだけもてはやされるのはどのような政治的意図なんだろうということを考えたとき「スケープゴート」というのは非常にわかりやすい解釈ではある。単に後日文書を起こした永倉、子母沢寛が、たまたまうまかっただけだったというのもあるのかもしれないけどね。
しかし「新選組は何も悪いことしていない」とか言っている人がいるとやはりどーなんだと思う。
関係ないけどIMEでは新選組と変換はできくて新撰組になってしまう。どっちも正しいらしいんだけど、面倒だと新撰組って書いてしまう。コンピュータが文化に与える影響っていうのは意外と大きそうだ。後年「2000年くらいからは新撰組という表記が一般的になった」なんてことになりかねないわけだしね。